お仕置きの野外全裸放置で隷女はただ戸惑うばかりであった
人が、有りのままの姿でいることは自然の摂理である。
しかしながら我々は、古来、理性という邪魔な存在によって本来の姿であることを遮られてしまっている。
その意味で、野外露出プレイは理性を放棄した倒錯的な行動の一つであると言えよう。
雅子を郊外に連れ出しました。
私と奴隷契約を結んで以来、はや2年が経とうとしています。
その間、私は奉仕の仕方、緊縛、ムチ、ロウソク、針、と、あリとあらゆるSMの快楽を雅子の体に教え込んできました。
私には同じ趣味を持つプレイ仲間がいます。
彼らからは事あるごとに、雅子を披露して貰いたいと催促されておりました。
私は雅子を自分だけの所有物にしておくつもリは毛頭なく、他の同志の方達にも雅子を可愛がって項きたいと思うのですが、雅子はどうしても私の元から離れて他人の手に渡ることを嫌だと言い張ります。
そのお仕置きとして私は今回の野外露出プレイを実行しました。
人里離れた場所とはいえ、野外で裸を晒すことは羞恥心の強い雅子にとっては辛いことでしょうが、だからこそ、その恥じらいを麻痺させるためのことだったのです。
ガクガクと身体を震わしながら立ち竦む雅子がいじらしく感じます。
雅子が他人の目に自らの裸を晒しても平気でいられるようになるまで、私は雅子を外に連れ出すつもリなのです。
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