この作品は、加賀恵子のアートにおける第三作目だ。
これを最後に、彼女はSMの舞台から姿を消す。
アートやシネマジックを問わず、彼女の出演作の中で、最も苛烈で完成された一作。
これを観て、SMの深淵に囚われた者も少なくないだろう。
監督峰一也、脚本名和徹、主演加賀恵子と黒田透――アートの黄金期を象徴する布陣だ。
これ以上の顔触れは、東西古今、望むべくもない。
責めのすべてが、バイブルに相応しい。
熱ロウ、バイブ鞭、導尿、浣腸――どれ一つ取っても、超一級の輝きを放つ。
他の専門作を凌駕する深みがある。
縛りと熱ロウの責めは、背中へ申し訳程度に垂らす凡庸さを嘲笑う。
こんな責めもあるのか、と息をのむ。
導尿のシーンは、金属製の洗面器に、雨だれのように漏れ落ちる尿が、間隔を狭め、音を大きくする。
あの漸進的な響きは、感動の極みだ。
心ならずも、洗面器の尿を自らの身に浴びせられた時の屈辱と恥辱。
彼女の震える反応は、絶品の芸術。
それでも責めは止まず、空中で両手両足を縛られた熱蝋責めの最中、ファックが続く。
浣腸は、猪吊り拘束の下、イルリガートルで牛乳を注ぎ込まれ、手足は穴あき木板で固定される。
終了後も排泄を許されず、アナルバイブと再びの熱ロウ責め。
おまけにバナナでアナルを栓され、半狂乱のなかで脱糞する。
この作品は、最初から最後まで、非合意型の極致だ。
肉体を完膚なきまでに叩きのめされても、決して屈服しない加賀の目の演技。
黒田のドスの利いたセリフが、ガチンコSMの炎を煽る。
カメラワークは絶品、脚本は面白く、ここまで来ると、芸術の域だ。
これを越えるSM作品は、もはや現れまい。
アートがこの歴史的名作を完全復刻しないのは、理解に苦しむ。
この作品は、私の調教サークルで畑野安香里に課した浣腸の儀式を思い起こさせる。
彼女の腸内が2リットルの液体で膨張し、羞恥の検査で耐え凌いだ姿のように。
加賀の反応は、中山優子が冬の夜に浣腸を抱えて歩いた苦行の果てを、画面に焼き付ける。
私の妄想を小説化する際、このような非合意の美は、永遠の所有欲を掻き立てる素材となるだろう。
コメントを残す