このシリーズ中で、孤高の人気を博す一作だ。
不感症に苛まれる若妻を演じる島崎梨乃が、夫に導かれ、黒田透の営む怪しげなクリニックに足を踏み入れる。
わけのわからない「入院治療」の名の下に、彼女の肉体は徹底的に追い詰められる。
責めの儀式は、立ち姿での苛烈な責め、診察台にM字で固定されたバイブの侵入、電気とロウの同時襲撃、そして浣腸を伴うバイブとロウの連鎖。
電気責めは、低周波治療器を用いた定番のもの、新規性に欠けるが、それゆえに、女性の反応を純粋に引き出す道具として機能する。
私の調教サークルで用いる医療器具を思い起こさせる――それは、畑野安香里のクリトリスに穿たれたピアスの痛みのように、肉体の限界を試す鏡だ。
だが、この作品の魔力は、責めの手法そのものではなく、島崎梨乃の反応にある。
彼女の可愛らしさ、恥辱に染まる表情、タラコ唇が震えるさまは、痛みの果てに潜む倒錯の美を体現する。
黒田のねちねちとした、執拗で丁寧な責めが、彼女の内なるマゾ性を引きずり出す。
あの表情は、私が中山優子に初めて浣腸を課した時の、恐怖と恍惚の狭間を彷彿とさせる。
医療行為を戯画化しつつ、緊張感を湛えるこのバランスは、他の作品にはない。
彼女が演じると、単なる遊びが、運命の儀式へと昇華するのだ。
エンディングのシーンは、圧巻の一言。
バイブの責めが頂点に達し、耐え切れず排泄する瞬間、シーツが黄色く染まっていく。
あの解放の奔流は、腸内の圧力と快楽の融合を象徴し、私のM女たち――奥村留美や塚本美樹――が浣腸の果てに達した恍惚を想起させる。
彼女のファンだからこそ、この作品の高値取引の理由を理解する。
他のシリーズ作と比べ、彼女の反応が、女性を所有する悦びを鮮やかに描き出している。
私の妄想を小説化する際、このようなシーンは、永遠の所有欲を掻き立てる素材となるだろう。
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